秋元真夏と西野七瀬が不仲から和解までのストーリーがドラマ的すぎて感動! [乃木坂46]
どーも、名探偵りゅうちゃんです。(自称)
皆さんは喧嘩をしている相手はいますか?、その人と仲直りしたいと思っていますか?
今回は、乃木坂46の西野七瀬さんと秋元真夏さんが、不仲の状態から、見事に和解したと噂を聞き、捜査してみました。
すると、その和解のしかたが、まるでドラマのようでした。
果たして、なぜ2人は不仲になったのでしょうか?
そして、その和解の仕方とは?
目次
・西野七瀬と秋元真夏の不仲説の原因
・2人のドラマのような和解とは
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西野七瀬と秋元真夏の不仲説の原因
ことの発端は4枚目シングル、『制服のマネキン』の選抜発表でのことです。
西野七瀬さんは、1枚目2枚目のシングルで選抜に入り、3枚目でようやく福神に選ばれました。
同時期、秋元真夏さんは通っていた高校で、芸能活動が禁止されていた為、乃木坂46での活動を休業していました。
そして、2012年4月、ちょうど2枚目シングル『おいでシャンプー』の発売1か月ほど前に、乃木坂46のレッスンに参加できるようになりました。
そして、2012年10月、『乃木坂ってどこ?』という、乃木坂46の冠番組で、4枚目シングルの選抜発表がありました。
秋元真夏さんが復帰して、ちょうど半年後です。
それまで秋元真夏さんは、レッスンには参加していましたが、番組には出演しておらず、ずっと収録を見学していました。
4枚目選抜発表の時も、いつものように見学していました。
選抜発表は、必ず後列から順に発表されていきます。
3枚目シングルでは、西野七瀬さんは福神でしたが、なんと4枚目シングルでは、後列で、名前が呼ばれました。
つまり、辛うじて選抜には入れたが、前回よりも1つ下がりってしまいました。
そして、西野七瀬さんがいた7福神のポジションに、番組を見学しに来ていた、秋元真夏さんが呼ばれました。
正直、会場はどよめいていました。
「なぜ、復帰して半年の人が福神に?」「今まで頑張ってきたアンダーメンバーは何なの?」
そう思っていたメンバーもいたと思います。
特に、西野七瀬さんは、選抜発表後「大阪に帰る」と言っていたらしいです。
このことがきっかけで、2人は和解までの約1年半、全く話すことがなかったそうです。
ただ、当時のことを秋元真夏さんが語っていましたが、西野七瀬さんに避けられている印象はなかったそうです。
西野七瀬さんも、「当時はどう接していいか分からなくなってた」と言っています。
この2人の場合、不仲というよりも、お互いに接し方が分からなかっただけだと思います。
さて、ではどうやって、西野七瀬さんと秋元真夏さんは和解したのでしょうか?
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2人のドラマのような和解とは
西野七瀬さんと秋元真夏さんは、2014年2月に行われた、『2ND YEAR BIRTHDAY LIVE』が切っ掛けで、和解しました。
2ND YEAR BIRTHDAY LIVEとは、乃木坂46のデビュー2周年記念LIVEです。
このライブで西野七瀬さんが、会場の巨大モニターに流れる映像に合わせ、ナレーションをするという、項目がありました。
この時のナレーション内容は、メンバーは誰も知らされていませんした。
当然、秋元真夏さんにもです。
ライブが始まり、いよいよ西野七瀬さんのナレーションの時間です。
ナレーションは、観客からは見えない位置で行われていました。
映像に合わせ、話す西野七瀬さん。
西野七瀬さんの前には、秋元真夏さんがスタンバイしています。
映像は、乃木坂46の2年間を軌跡をものがったっています。
もちろん、秋元真夏さんが選抜に選ばれた頃のこともです。
そしてナレーションも終盤にさしあたるころです。
西野七瀬さんは、秋元真夏さんが福神に選ばれ、自分が後ろに降格してしまった時の心境について、話し始めました。
『大阪に帰ろうと思ったこと』『あれから、どう接していいか分からなくなってしまったこと』
そして最後に、1年半、1度も話したことのない秋元真夏さんに向かってこう言いました。
あの時は言えなかった言葉で、この曲を始めます。
真夏、おかえり。
一緒にがんばろ。
この言葉のあと、2人は泣きながら抱き合ったそうです。
この時、抱きしめに行ったのは、西野七瀬さんからだったそうです。
そしてその後すぐ、4枚目シングル『制服のマネキン』を披露しました。
いかがでしたか?
何よりもいいのが、ナレーションは観客からは見えていないので、見えていない位置で、こんなことがあった、というのが感動的ですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また次回の噂でお会いしましょう。
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皆さんは喧嘩をしている相手はいますか?、その人と仲直りしたいと思っていますか?
今回は、乃木坂46の西野七瀬さんと秋元真夏さんが、不仲の状態から、見事に和解したと噂を聞き、捜査してみました。
すると、その和解のしかたが、まるでドラマのようでした。
果たして、なぜ2人は不仲になったのでしょうか?
そして、その和解の仕方とは?
目次
・西野七瀬と秋元真夏の不仲説の原因
・2人のドラマのような和解とは
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西野七瀬と秋元真夏の不仲説の原因
ことの発端は4枚目シングル、『制服のマネキン』の選抜発表でのことです。
西野七瀬さんは、1枚目2枚目のシングルで選抜に入り、3枚目でようやく福神に選ばれました。
同時期、秋元真夏さんは通っていた高校で、芸能活動が禁止されていた為、乃木坂46での活動を休業していました。
そして、2012年4月、ちょうど2枚目シングル『おいでシャンプー』の発売1か月ほど前に、乃木坂46のレッスンに参加できるようになりました。
そして、2012年10月、『乃木坂ってどこ?』という、乃木坂46の冠番組で、4枚目シングルの選抜発表がありました。
秋元真夏さんが復帰して、ちょうど半年後です。
それまで秋元真夏さんは、レッスンには参加していましたが、番組には出演しておらず、ずっと収録を見学していました。
4枚目選抜発表の時も、いつものように見学していました。
選抜発表は、必ず後列から順に発表されていきます。
3枚目シングルでは、西野七瀬さんは福神でしたが、なんと4枚目シングルでは、後列で、名前が呼ばれました。
つまり、辛うじて選抜には入れたが、前回よりも1つ下がりってしまいました。
そして、西野七瀬さんがいた7福神のポジションに、番組を見学しに来ていた、秋元真夏さんが呼ばれました。
正直、会場はどよめいていました。
「なぜ、復帰して半年の人が福神に?」「今まで頑張ってきたアンダーメンバーは何なの?」
そう思っていたメンバーもいたと思います。
特に、西野七瀬さんは、選抜発表後「大阪に帰る」と言っていたらしいです。
このことがきっかけで、2人は和解までの約1年半、全く話すことがなかったそうです。
ただ、当時のことを秋元真夏さんが語っていましたが、西野七瀬さんに避けられている印象はなかったそうです。
西野七瀬さんも、「当時はどう接していいか分からなくなってた」と言っています。
この2人の場合、不仲というよりも、お互いに接し方が分からなかっただけだと思います。
さて、ではどうやって、西野七瀬さんと秋元真夏さんは和解したのでしょうか?
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2人のドラマのような和解とは
西野七瀬さんと秋元真夏さんは、2014年2月に行われた、『2ND YEAR BIRTHDAY LIVE』が切っ掛けで、和解しました。
2ND YEAR BIRTHDAY LIVEとは、乃木坂46のデビュー2周年記念LIVEです。
このライブで西野七瀬さんが、会場の巨大モニターに流れる映像に合わせ、ナレーションをするという、項目がありました。
この時のナレーション内容は、メンバーは誰も知らされていませんした。
当然、秋元真夏さんにもです。
ライブが始まり、いよいよ西野七瀬さんのナレーションの時間です。
ナレーションは、観客からは見えない位置で行われていました。
映像に合わせ、話す西野七瀬さん。
西野七瀬さんの前には、秋元真夏さんがスタンバイしています。
映像は、乃木坂46の2年間を軌跡をものがったっています。
もちろん、秋元真夏さんが選抜に選ばれた頃のこともです。
そしてナレーションも終盤にさしあたるころです。
西野七瀬さんは、秋元真夏さんが福神に選ばれ、自分が後ろに降格してしまった時の心境について、話し始めました。
『大阪に帰ろうと思ったこと』『あれから、どう接していいか分からなくなってしまったこと』
そして最後に、1年半、1度も話したことのない秋元真夏さんに向かってこう言いました。
あの時は言えなかった言葉で、この曲を始めます。
真夏、おかえり。
一緒にがんばろ。
この言葉のあと、2人は泣きながら抱き合ったそうです。
この時、抱きしめに行ったのは、西野七瀬さんからだったそうです。
そしてその後すぐ、4枚目シングル『制服のマネキン』を披露しました。
いかがでしたか?
何よりもいいのが、ナレーションは観客からは見えていないので、見えていない位置で、こんなことがあった、というのが感動的ですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また次回の噂でお会いしましょう。
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2016-07-23 18:42
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